6月
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「ダークナイト」はつまり、ぼくにとっての「平成ガメラ」だったのだ。
オタクなら誰でも夢見ているのではないだろうか。大金を掛けて、自衛隊などのリアルな軍隊が出てくる怪獣映画や、現実に仮面ライダーが存在したら、とかそういう「リアルさを持った漫画映像」を。それらは実際にはちっともリアルではない、というか怪獣とかその能力とか(オタク文化に対して愛のない「空想科学読本」によればそもそも怪獣やウルトラマンは立っていられない)、多分にフィクショナルな部分は保留しつつ、その外堀はガンガン現実の事物で埋めていく。それはオタクだったら多くの人が理解してくれると思う「願望」だ。そして平成ガメラに対する評価とはまさにそれであった。「防衛軍」でなく、モノホンの自衛隊が短SAMや90式やペイトリオットで対応する。「もし本当に怪獣がいたら」という妄想の許に渋谷を火の海にしたとき、ヒーローであるガメラに「被災」してしまった少女というキャラクターが出てきたとき、全国のオタクは驚喜したはずだ(違う?俺はそうなんだけど)。
つまり、ぼくが「ダークナイト」をすんなり自然に受け入れるどころか驚喜したのは、そういう「オタクの願望」の傾向を体現した作品だったからなのね。「もし本当にバットマンというヒーローがいたら?」というテーマがあること。「バットマンやジョーカーの非現実感が際だってしまう」という批判はそもそもそうした作品の作り手が設定したテーマそのものの否定な訳ね。つまり「リアルなアレが観たい」という願望の否定な訳だ。それはあるリアルな世界に非現実的なものを放り込むオタク特有の願望を持ち合わせていない、極めて常識的な意見でもあるわけだ。
表紙 - 伊藤計劃:第弐位相 (via gtokio) (via otsune) (via tra249) (via zaki123) (via megane4141)